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ポーランド 2ダカット金貨 1660TT ヨハン・カシミール EF

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ポーランド 2ダカット金貨 1660TT ヨハン・カシミール EF

直径:約30mm 重量:約6.73gm

ポーランドといってもぴんとこない。

人口3800万人の小国で、西欧とロシアの間に位置し、首都はワルシャワだ。

地理的に平原で住みやすく、有史以前から民族、人種の交わりが多く、各年代の文明は幾層にも折り重なっている。

ゆえに底の底に埋まっている古代発掘は困難だが、ポーランド人は紀元前5500年の世界最古のチーズが出土したことにとても満足しているのである。

チーズ自慢を、どう解釈していいんだろ? まあ、いいやね。

 

6世紀ごろまでスラブ系民族がまったりと住み、彼らが軸になってポーランド人と呼ばれるようになるのだが、

ポーランド公国としてキリスト教世界に認知されたのは966年だ。

1025年、ローマ教皇から王の冠を貰い、無事ポーランド王国となる。

ところが1241年、大変な事態におちいる。

東の黄色い悪魔、モンゴルの来襲。

朝青龍とか白鵬みたいな細い目の騎馬軍が、胸に矢が二、三本刺さってもへっちゃらで突っ込んできて略奪、殺戮、強姦の限りをつくしたのだから恐怖のどん底だ。

時は九州蒙古襲来(1274年、1281年)の30年前であり、このヨーロッパ侵略後、モンゴルは太っとい首をグリっと180度東に回転させて狙いを日本に定める。

ガタガタ、ブルブル・・・威圧的国書を送って(1268年)寄越すのであるが、その中で、ポーランドのことを告げているために、日本にもポーランドの国名が伝わったのである。

 

モンゴルは草原が恋しくなったのだろう、一切がっさいを持ちだして自発的にポーランドから引き上げる。

ポーランド人も、元いた場所に戻り、モンゴルに対する防衛的見地から、屈強なドイツ人たちをガードマン的に移住させのである。

したがってポーランドは民族的に寛容にならざるをえず、14世紀には、ドイツで迫害されたユダヤ人を受け入れたり、多民族国家の様相を呈しはじめる。

1573年にはすべての貴族が1人1票を持つなど、かなり民主的な方法で国王を選んでいる。投票で選ぶ国王って、なんだろう? 安土桃山時代、投票で天下人を選ぶ発想など、1ミリもなかった我々からすると、西欧人ってお利口にみえちゃったりするのだが、今回の蔵出しのヨハン・カシミール王の時代のポーランドは、力がガタ減りした 時代だ。

ロシアとは外交的につまずき、スウェーデンとは戦争となり、そして大洪水・・・。

それだけにコインの種類も少なく、この時代のものは貴重品だ。

なかでも今回の蔵出しは、飛びぬけて保存状態がいい。

 

現存枚数は?

1908年のKOPICKIのコインカタログには(R5)の表示がある。

Rは貴重品を現す表示でRからはじまり、R2、R3・・・たしか最高がR7だったと思う。

正確な現存枚数は、どのカタログでも不明だが、ヨーロッパのコイン・ディーラーの間での予想では20枚から40枚がR6ということで大珍品である。

自画自賛のようだが、加治はスタート時点からグレードにはこだわっており、低いものには見向きもしなかったので、どれも見事だ。

こういうコインを持っていれば、将来大化けの可能性がある。

 

RSS Feed  Posted on 2013-02-12 | Posted in 最新情報 | Comments Closed

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