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Posted on 2014-05-02スペイン 1エスクード金貨 NO DATE カルロス1世&フアナ F
スペイン 1エスクード金貨 NO DATE カルロス1世&フアナ F
直径:約21.66mm 重量:約3.13gm FR153
コロンブスがアメリカ大陸を発見する半世紀前、大航海時代幕開けのコイン。
造幣:セヴィラ
※紹介文は、書きあがり次第「過去の蔵出しコイン」にアップいたします。
Posted on 2014-05-02エジプト 500ピアストル金貨 AH1348(1929年) ファード1世 EF
エジプト 500ピアストル金貨 AH1348(1929年) ファード1世 EF
直径:約37mm 重量:約42.47gm 金品位:0.8750
FR31 KM355
発行枚数:400枚
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Posted on 2014-05-02スイス フリブール 100フラン金貨 1934年 射撃祭記念 P/L FDC
スイス フリブール 100フラン金貨 1934年 射撃祭記念 P/L FDC
直径:約31.27mm 重量:約25.9gm 金品位:0.9000
造幣:ベルン FR505 KMS19
発行枚数:2,000枚
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Posted on 2014-05-02イタリア王国 100リレ金貨 1925年 ヴィットリオ・エマニュエーレ3世 MATTE PROOF AU/UNC
イタリア王国 100リレ金貨 1925年 ヴィットリオ・エマニュエーレ3世 MATTE PROOF AU/UNC
ヴィットリオ・エマニュエーレ3世(1869~1947)
直径:約35mm 重量:約32g 発行枚数5000枚
まいどおなじみ、マルタ騎士団から金羊毛騎士団まで15以上の騎士団に入会していた騎士団大好き王だ。
騎士団オタク王といってもいい。
今回は金羊毛騎士団について語る。
金羊毛騎士団という名称は、どうにもぴんとこない。というか、間抜けなサウンドだ。
誤訳ではないにしろ、一流騎士団なのに、なにかこうヘコたれていて情けない。
訳すならせいぜい金羊皮騎士団だろうなあ、それでもへんてこなので、英語ふうに「ゴールデン・フリース騎士団」にする。この方が締まる。
創設は1430年。
ブルゴーニュ公であるフィリップ公が造ったのだが、ゴールデン・フリース騎士団の守護神は新約聖書に出てくるイエスの使徒、聖アンデレ(アンドリュー)だ。
ちなみにゴルフ全英オープンのセント・アンドリュースは、この聖アンドレのことであります、どうでもいいけど。
金羊毛はギリシャ神話に由来する。
ネペレ王妃が、2人の子供を逃がす時にヘルメス神が与えたのが金の羊皮だ。
金羊皮に乗って、空を飛んで逃げるのだが、ギリシャ神話なので、結末はよく分からない。金羊毛は宝物になったとか、空の彼方の牡羊座になったとか、行方不明なのだが、フィリップ公が造ったゴールデン・フリース騎士団は、ハプスブルク家に継承され、後にスペインのブルボン王朝にも流れたそんじょそこらにあるナンチャッテ騎士団とは格が違う。
ちゃっかり、この「ゴールデン・フリース」を自社のマークにいただいちゃったのがアメリカの老舗洋服メーカー「ブルックス・ブラザーズ」だ。
ハプスブルク家が勢いを増すと、31名だった団員が51名となる。
今は本家争いの末にスペインとオーストリアの2系統に分かれてしまっているが、スペインの方が有力だ。
ちなみに明治天皇、大正天皇、昭和天皇、今上天皇のすべてがスペインのゴールデン・フリース勲章を受章している。メー、メー。
さて今回の蔵出しはメー、メー騎士団員のヴィットリオ・エマニュエーレ3世のコインであるが、欲張って二つの題材を同時に記念した一粒で二度おいしい珍品だ。
表面は1900~1925年のヴィットリオ・エマニュエーレ3世の在位25年をしっかりと祝い、裏面では第一次世界大戦への参戦10年目を記念している。
マット・プルーフ仕上げというのも渋い。
光沢部分がないので重厚感が溢れ、哀愁漂うワビとサビ。渋い男はこうでなくちゃいけない。
加治がコインになるなら、マット・プルーフになりたい。
男の中の男のコイン。昔、いたなあ~チャールズ・ブロンソン。
お宝の一品である。
Posted on 2014-05-02アルバニア 100フランガ・アリ金貨 ゾグ1世在位10年 1938年 EF+
アルバニア 100フランガ・アリ金貨 ゾグ1世在位10年 1938年 EF+
直径:約35mm 重量:約32.26gm 金品位:0.9000 FR15 KM26
造幣:ローマ
発行枚数:500枚
表:ゾグ1世(1895―1961)
アルバニア共和国の大統領(1925―1928)、後にアルバニア王国の国王(1928―1939)。
フランガ・アリとは、アルバニアの通貨単位。1925年から1939年にイタリアに占領されるまで使用された。
※紹介文は、後日書きあがり次第「過去の蔵出しコイン」にアップいたします。
Posted on 2014-05-02イギリス ヴィクトリア女王 ジュビリー 5ポンド金貨 1887年 PROOF AU/UNC
イギリス ヴィクトリア女王 ジュビリー 5ポンド金貨 1887年 PROOF AU/UNC
ヴィクトリア女王(1819~1901)
直径:約35.99mm 重量:約39.99g 金品位:0.9170
発行枚数:797枚
ヴィクトリア女王は世界各地に植民地を造りまくった大英帝国の偉大なる象徴だ。在位はなんと63年7ヵ月。当時の平均寿命を軽く超え、歴代イギリス国王の最長記録。
父親はケント公エドワードだが、曾祖父のフレデリック・ルイスはドイツのハノーヴァーで生まれ育ち、イギリスに渡ったのは21歳のときだった。
あれ? じゃドイツ人じゃんか、と思うでしょう?
はい、フレデリックの父はイギリス国王兼ハノーヴァー選帝侯(ドイツの都市)のジョージ2世なのである。
なに? イギリス史がよく分からない?
そうでしょう、そうでしょう、ではサクっと解説する。
まずは、ステュワート家に注目して欲しい。
ステュワート家はフランスの小貴族が、だいたい1100年ころにイングランドに移住し、スコットランド王家に接近し結婚、ついにスコットランド王家に連なっちゃった名家だ。
次にイングランドの名門テューダー家のマーガレットが、ステュワート家のジェームズ4世に嫁ぎ、その子ジェームズ5世(1512~1542)が生まれて、ステュアート家がついにイングランドの王位継承権を得た。
ようするに昔のスコットランド王もイングランド王も、元を正せばフランスの移民小貴族なのですな。まあ日本だって似たようなものだが。
時代は下って、最初の話しに戻りドイツの登場だ。
神聖ローマ帝国の諸侯の家系、1692年にハノーヴァー公国を造ったハノーヴァー家である。
このハノーヴァー家のゲオルグが、1714年にステュアート朝に代ってイギリス王家もいただいちゃってイギリス・ハノーヴァー朝なんていうのです。なんでドイツのハノーヴァー家を招いちゃったかというと、カソリック信徒の即位を阻むためなんだが、王位継承なんて古今東西自分達の都合のいい解釈でどうにでもやっちゃうのだからいいかげんで、このゲオルグを英語読みするとジョージでありまして、イギリス王のジョージ1世のことだ。
むろん、ハノーヴァー家も上流階級であるからして、ごたぶんに漏れずハイソのステュアート家とも姻戚関係で、血はつながっているのだが、ようするにイギリス王室なんていったってフランス人やらドイツ人の血が混じっているのですよ。
1837年、ヴィクトリア女王が即位して、ハノーヴァー王国との連合を解除した。
今回の蔵出しは、ヴィクトリア女王お気に入りの小さな王冠を頭に載せているデザイン。彼女のトレードマークだ。 裏はセント・ジョージがドラゴンを退治している。
Posted on 2014-05-02イギリス エドワード7世 金貨4枚・銀貨9枚セット 1902年
イギリス エドワード7世 金貨4枚・銀貨9枚セット 1902年 (製造数8,066セット)
重量/直径/金品位/発行枚数
1段目左から
・5ポンド金貨
39.89g/36.00mm/0.9170/8,066枚/KM807
・2ポンド金貨
15.98g/28.39mm/0.9170/8,066枚/KM806
・1ソヴリン金貨
7.99g/22.04mm/0.9170/15,000枚/KM805
・1/2ソヴリン金貨
4.01g/19.29mm/0.9170/15,000枚/KM804
重量/直径/銀品位/発行枚数
2段目左から
・6ペンス銀貨
2.83g/19.34mm/0.9250/15,000枚/KM799
・1シリング銀貨
5.66g/23.61mm/0.9250/15,000枚/KM800
・1フローリン(2シリング)銀貨
11.36g/28.48mm/0.925枚/15,000枚/KM801
・1/2クラウン銀貨
14.19g/32.27mm/0.9250/15,000枚/KM802
・1クラウン銀貨
28.33g/38.51mm/0.9250/15,000枚/KM803
3段目左から
・4ペンス銀貨
1.89g/17.63mm/0.9250/10,000枚/KM798
・3ペンス銀貨
1.40g/16.20mm/0.9250/8.976枚/KM797.1
・2ペンス銀貨
0.94g/13.46mm/0.9250/14,000枚/KM796
・1ペニー銀貨
0.47g/10.97mm/0.9250/21,000枚/KM795
1901年からわずか9年間であるものの、かかあ天下のイギリスにあって男の国王が頑張った時代があった。ヴィクトリア女王の長男のエドワード7世だ。王に即位すると、優しい人柄が外交にも現れ「ピース・メーカー」と呼ばれたが幼いころは母親(ヴィクトリア)の虐待とも言える躾で、問題児となる。
愛情に飢え寂しかったのである。
ナポレオン三世に対しても「あなたの子供になりたい」などとまで述べ、日本では考えられないが、王太子は長くパリの娼館に住んじゃったのだ。
即位後も女優たちと浮名を流す。
結婚生活も異常だった。
王妃アレクサンドラには指一本ふれずに、貴族の人妻アリス・ケッぺルをひたすら愛し、死ぬまで片時も離さなかったのである。
このアリス、人妻だがたいへんな美貌の持ち主。
男なら、だれだって依存症になるほど綺麗だ。
当時、これまた日本では考えられないことだが、貧乏貴族の夫を持った美人妻は社交界に出て、より地位の高い貴族と愛人契約を結び、夫の地位向上と、同時に家計も支えたのである。
アリスは、国王と正妻と宮殿で一緒に暮らすのだが、自分の立場をわきまえ、かといって媚びることもなかったので政府高官、貴族たちのウケはよかった。
エドワード7世が他界して26年、アリスは「ロイヤルのミストレス(情婦)は儀礼を第一に心得、あとはベッドに飛び込むだけよ。私はそれを上手くやったわ」と発言し、まさに愛人の鏡とされたのである。
それにしてもアリスを寝盗られた夫は沽券にかかわると思うのだが、国王に決闘を申し込んだ形跡はなく、そして国王が死んだ後、アリスはちゃんと家族の元に返って、遠く離れたセイロン島で2年を過ごしたというから、やっぱ居づらかったんだろうなあ。
奇妙な話がある。
今のチャールズ王太子はダイアナを寄せ付けず、片時も離さなかったのが愛人、カミラ。ダイアナは死に、カミラは正妻になる。そのカミラは、なんとジョージ7世の子だと噂されるアリスが産んだ次女の孫なのである。いやはや、巡り巡って、なんの因果であろうか!
(イギリス 5ポンド金貨 1902年 エドワード7世 マット・プルーフ金貨の解説引用)
Posted on 2014-05-02イギリス ヴィクトリア女王 ジュビリー 金貨4枚・銀貨7枚セット 1887年
イギリス ヴィクトリア女王 ジュビリー 金貨4枚・銀貨7枚セット 1887年(製造数わずか797セットの珍品)
重量/直径/金品位/発行枚数
1段目左から
・5ポンド金貨
39.78g/36.07mm/0.9170/797枚/KM769
・2ポンド金貨
15.88g/29.38mm/0.9170/797枚/KM768
・1ソヴリン金貨
7.97g/22.07mm/0.9170/797枚/KM767
・1/2ソヴリン金貨
4.05g/19.49mm/0.9170/797枚/KM766
重量/直径/銀品位/発行枚数
2段目左から
・1クラウン銀貨
28.30g/38.57mm/0.9250/1,084枚/KM765
・2フローリン銀貨
22.59g/36.07mm/0.9250/2,916枚/KM763
・1/2クラウン銀貨
14.08g/32.16mm/0.9250/1,084枚/KM764
・1フローリン(2シリング)銀貨
11.23g/29.34mm/0.9250/1,084枚/KM762
3段目左から
・シリング銀貨
5.66g/23.6mm/0.9250/1,084枚/KM761
・6ペンス銀貨
2.82g/19.50mm/0.9250/―/KM759
・3ペンス銀貨
1.39g/16.28mm/0.9250/―/KM758
ヴィクトリア女王は世界各地に植民地を造りまくった大英帝国の偉大なる象徴だ。在位はなんと63年7ヵ月。当時の平均寿命を軽く超え、歴代イギリス国王の最長記録。
父親はケント公エドワードだが、曾祖父のフレデリック・ルイスはドイツのハノーヴァーで生まれ育ち、イギリスに渡ったのは21歳のときだった。
あれ? じゃドイツ人じゃんか、と思うでしょう?
はい、フレデリックの父はイギリス国王兼ハノーヴァー選帝侯(ドイツの都市)のジョージ2世なのである。
なに? イギリス史がよく分からない?
そうでしょう、そうでしょう、ではサクっと解説する。
まずは、ステュワート家に注目して欲しい。
ステュワート家はフランスの小貴族が、だいたい1100年ころにイングランドに移住し、スコットランド王家に接近し結婚、ついにスコットランド王家に連なっちゃった名家だ。
次にイングランドの名門テューダー家のマーガレットが、ステュワート家のジェームズ4世に嫁ぎ、その子ジェームズ5世(1512~1542)が生まれて、ステュアート家がついにイングランドの王位継承権を得た。
ようするに昔のスコットランド王もイングランド王も、元を正せばフランスの移民小貴族なのですな。まあ日本だって似たようなものだが。
時代は下って、最初の話しに戻りドイツの登場だ。
神聖ローマ帝国の諸侯の家系、1692年にハノーヴァー公国を造ったハノーヴァー家である。
このハノーヴァー家のゲオルグが、1714年にステュアート朝に代ってイギリス王家もいただいちゃってイギリス・ハノーヴァー朝なんていうのです。なんでドイツのハノーヴァー家を招いちゃったかというと、カソリック信徒の即位を阻むためなんだが、王位継承なんて古今東西自分達の都合のいい解釈でどうにでもやっちゃうのだからいいかげんで、このゲオルグを英語読みするとジョージでありまして、イギリス王のジョージ1世のことだ。
むろん、ハノーヴァー家も上流階級であるからして、ごたぶんに漏れずハイソのステュアート家とも姻戚関係で、血はつながっているのだが、ようするにイギリス王室なんていったってフランス人やらドイツ人の血が混じっているのですよ。
1837年、ヴィクトリア女王が即位して、ハノーヴァー王国との連合を解除した。
今回の蔵出しは、ヴィクトリア女王お気に入りの小さな王冠を頭に載せているデザイン。彼女のトレードマークだ。
(イギリス ヴィクトリア女王 ジュビリー 5ポンド金貨 1887年 PROOFの解説引用)
Posted on 2014-05-02スペイン 2エクセレンテ金貨 ND フェルナンド5世&イザベル1世 VF
スペイン 2エクセレンテ金貨 ND フェルナンド5世&イザベル1世 VF
直径:約28mm 重量:約6.99gm FR129 CCT56
造幣:セビリア
フェルナンド5世(1452―1516)&イザベル1世(1479―1504)
コロンブスのパトロン(1492年のコロンブスの航海もイサベルの主導権で実施された)
※紹介文は、書きあがり次第「過去の蔵出しコイン」にアップいたします。
Posted on 2014-05-02ヴァチカン 100リレ金貨 1933/1934 AU/UNC ジュビリー ピウス6世
ヴァチカン 100リレ金貨 1933/1934 AU/UNC ジュビリー ピウス6世
直径:約23.5mm 重量:約8.8gm 金品位:0.9000
発行枚数23,000枚
珍しいヴァチカンのコインだ。
ピウス6世が教皇になったころ、カソリックの総本山ヴァチカンは以前からくすぶっていた問題が益々はげしく燃えさかる。
ヨーロッパ各国とカソリックの布教組織イエズス会の対立である。
各国のナショナリズムが強まり、国は自分達の王権のもとに国をまとめあげようとするのに対し、イエズス会は教皇への忠誠を一番にせよと頑張る。国としては面白いわけはない。
しかしピウス6世は、中立を保った。
そのために両陣営から信頼を失い、孤立しちゃうのだが、それ以上の大事件は、フランス革命だ。
カミーユ・デムーランが「諸君、武器を取れ!」とパレ・ロワイヤルで叫び、バスティーユ監獄を襲撃して口火を切ったのが1789年のフランス革命だ。
軍司令官のナポレオンは強い。フランス政府は国内のカソリック教会の財産を没収したのである。
ローマでフランスの使節が殺害されると、黒幕は教皇だとして、ナポレオン自らが教皇領に侵攻。
その結果教皇軍は敗北し、フランスに屈服する。
さらに1797年ローマで再びフランス軍司令官が殺害されると、教皇の退位を迫った。
しかし、ガンとして拒否。頭にきたフランス軍が再び侵攻してピウス6世を捕虜として連れ去ったのである。
彼はイタリア、フランス各地を引き回されて、1799年失意のうちにこの世を去る。
蔵出しコインは、武力にも信念を曲げなかったピウス6世を称えた記念貨だ。
横顔はヴァチカンの星一徹、頑固おやじはこれだというピウス6世。
見かけによらず彼は、芸術を愛し公共事業に理解を示している。
今も残るヴァチカン美術館はピウス6世の発案である。
コインの裏は神々しいキリスト。足元で子供が王冠のようなものを持っているように見える。
細工は実に細かく、キリスト教信者垂涎の一枚で、ペンダントにしちゃう信者さんもいる。
Posted on 2014-05-02イタリア ジェノア 5ドッピエ金貨 1642年 マドンナ UNC
イタリア ジェノア 5ドッピエ金貨 1642年 マドンナ UNC
直径:約40mm 重量:約33.30gm 金品位:0.9860
FR427 KM100
表:雲上のマドンナ(聖母マリア)とキリスト
裏:十字架
※紹介文は、書きあがり次第「過去の蔵出しコイン」にアップいたします。
Posted on 2014-05-02スウェーデン 20クローナ金貨 1901年 オスカル2世 AU/UNC
スウェーデン 20クローナ金貨 1901年 オスカル2世 AU/UNC
直径:約23mm 重量:約8.96gm 金品位:0.9000
発行枚数:226,679枚
オスカル2世(1829~1907)
ベルナドッテ王朝第4代のスウェーデン国王、およびノルウェー国王。
オスカル1世の三男。母はジョゼフィーヌ(ナポレオン1世の皇后ジョゼフィーヌの孫)。
1877年から1901年まで発行されていた5?1000ノルウェー・クローネ紙幣6種に肖像が描かれていた。
※紹介文は、後日書きあがり次第「過去の蔵出しコイン」にアップいたします。